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仕事を辞めてから実家に帰るまで一週間ほど東京をぶらぶらしてたのですが、そのときに上野の東京国立博物館と国立西洋美術館に行きました。正直なところ、国立のこれら文化芸術施設を観覧するよりも、Tumblr見てた方が楽しいし刺激的だと感じました。太宰府の九州国立博物館に行ったときも感じたのですが、日本の博物館は縄文や弥生時代の土器とか、中世の美術品や刀など歴史的に価値のある史料をただ展示してるだけで、その裏側にある背景の解説が弱いと感じました。英語の解説文も少なめで、外国人は鎧や刀の展示を見てひとしきりハッスルした後は退屈極まりないだろうと思います。シンガポール国立博物館は英語、中国語、マレー語、タミル語、日本語に対応したマルチリンガル音声ガイド端末(液晶ディスプレー付きでiPodみたい)を各入館者に貸し出してくれたのでとても楽しめました。独立法人国立文化財機構にはもっと頑張って欲しいです。

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今日はポエムです。

学生生活も残りわずかとなった早春のある日、僕は静岡方面にレンタカーでドライブに出かけました。夜に東京を出発して、途中コンビニの駐車場で休憩しながら伊豆へ向かいました。東京を出発したときは雪が降るそぶりなんてみじんもなかったのですが、小田原を過ぎたあたりからパラパラと雪が舞い始め、熱海の手前の峠道にはうっすらと雪が積もっていました。もう春はすぐそこという気候だったのに、とても不思議な光景でした。

ドライブの目的はスカンジナビア号という客船でした。客船と言ってももう地力で航行することはできない船で、港に停留して海上レストランとして余生を過ごしている船でした。この船は戦前から存在する客船で、戦時中はナチスドイツに接収され、戦後しばらくは北欧で実際に客船として運用されていました。その後1969年に西武グループによって買い取られて日本にやってきて、海上ホテル兼レストラン(のちレストランのみ)として利用されることになったらしいです。僕が大学を出る直前の2005年初頭はコクドの有価証券報告書偽造問題が明るみに出て、西武グループは大騒ぎしてました。事業再編の流れの中でスカンジナビアも整理されることになり、レストランの閉鎖が決定されたのです。そのニュースを見て僕は、是非ともスカンジナビア号がなくなってしまう前に一度中に入ってみたいと思ったのでした。

スカンジナビア号の中ではコーヒーとケーキを注文しました。スカンジナビア号のインテリアは趣のあるものでしたが、若干船体が傾いていました。傾いた船内の喫茶室で味のあるデザインの木製の椅子に腰掛け、年季の入ったテーブルの上でコーヒーを飲みながらケーキを食べました。しかし使い込まれた調度品と船体の傾き具合が妙にマッチしていて、不思議な居心地の良さがありました。

当時のことを懐かしく思ってスカンジナビア号のその後をネットで調べてみたのですが、Wikipediaによると中国で補修工事を受けるために太平洋を曳航されている途中で沈没したのだそうです。何だかずっと連絡をとっていなかった昔の知り合いが亡くなったのを人づてに聞いたかのような気分です。Wikipediaによると船体の強度不足のために引き上げることも不可能なのだとか。波瀾万丈の生涯を送ったスカンジナビア号の冥福を祈ります。

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『悲しきアンコール・ワット』という本を読んだ。

アンコールワットは東南アジアを代表する遺跡だ。僕も去年10月にカンボジアを訪れて圧倒された。石で作られた遺跡の数々のクオリティはとんでもなく高い。是非とも一生に一度は訪れる価値のある場所だと思う。

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盗掘

カンボジア政府によると、カンボジアにはアンコールワットの他にも仏教やヒンズー教の遺跡が1000ヶ所以上あり、文化財がたくさん残っている。しかし植民地支配や内戦など不幸な歴史が折り重なり合い、盗掘が相次いできたらしい。

古くはタイのアユタヤ朝との戦いに敗れてアンコールワットの美術品が戦利品として持ち去られたし、フランスの植民地支配時代にはアンコールの仏像の美しさに魅せられた不心得なフランス人達が遺跡から仏像を切り取ってフランスに持ち帰るなどした。

第二次大戦後に独立を果たしたものの、貧しさのために盗掘はエスカレートし、内戦期やポル・ポト派が国を支配した時代には公然と文化財がタイへ持ち出され、世界中に密輸された。

1993年にポル・ポト派とフン・セン派で停戦合意し、その後はカンボジアに平和が訪れ、遺跡の盗掘も止むかと思われたが、事態はそう単純ではないようだ。というのも現政権の政府軍は、断続的にポル・ポト派を吸収するかたちで成立しており、軍の要職をポル・ポト派の元幹部が担っているらしい。従って地方によっては政権の力が及ばず、賄賂を握らされた軍人達が盗掘を黙認しているケースもあるそうだ。

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模造品

知らなかったのだけど、あんまりにも盗掘が多いものだから、カンボジアの遺跡仏像はこっそり模造品とすり替えられているものもあるそうだ。だから僕がアンコールワットなんかで見たもののうちの何割かは模造品だったのかも知れない。

また盗掘のみならず、模造品を本物として輸出する偽物ビジネスも横行しているのだそうだ。模造品製作の技術は遺跡の修復のためにも是非とも伝承していく必要のある技術であり、技術を得た職人達が偽物製作に手を染めたりせず、遺跡の修復だけで食べていけるようになるのが望ましい姿だと思う。

いまでも盗掘に手を染めるカンボジア人には、長期的に考えれば、先祖が残した遺跡を守ることが子や孫達の幸福に繋がることに気付いて欲しい。盗掘で荒らされた遺跡ばかりでは、外国人観光客もやってこなくなる。

そして密輸された遺跡を買ってるヨーロッパやアメリカや日本やシンガポールやタイの金持ち達に言いたい。アンコール遺跡の仏像はあの照りつける太陽の下、あるいは日が沈んだ静かなアンコールワットで見るから素晴らしいのであって、自宅に飾るもんじゃない。金にものを言わせてよその国の国宝級の美術品を自分の手元に置くなんて下品極まりない。

仮に遺跡に設置してある仏像が模造品であったとして、カンボジアの遺跡はカンボジアの太陽の下で、土埃の中で、においの中で見るのが一番だ。少なくとも自分は、夜の闇の中に照らし出されるアンコールワットの彫刻を見て、昔のクメール人達がどんなことを考えていたかが分かったような気がした。

蛇足

カンボジアの話とは直接関係ないのだが、ベトナムについての話が面白かった。カンボジア人はベトナムに対して複雑な感情を持っているらしい。歴史的に大国のベトナムに領土を圧迫されてきた経緯があるし、仏領インドシナだったときには、フランス人は自分たちの下にベトナム人を置き、ベトナム人にカンボジアを統治させたそうだ。

ベトナム戦争終了後に、ポル・ポト率いるカンボジアと統一したベトナムは戦火を交えることになるのだが、ベトナム統一後に取材でホーチミンを訪れた著者(著者の本職はカメラマン)は、ホーチミンと名前を変えられたはずの都市が旧称のサイゴンのまま呼ばれていることを知り驚いたらしい。統一したといっても南ベトナムは南ベトナムであり、住んでいた人達が入れ替わるわけではない。カンボジアに派兵されたベトナム軍は元南ベトナム出身者で構成されていたようで、歴戦のベテランではなく、5万人が亡くなった。ホーチミン市内では物乞いをする手足を失った傷病兵の姿を見かけることがあるが、旧北ベトナムのハノイではそのような姿を見かけることはないのだそうだ。北ベトナムが南ベトナムを支配していた、という構図がかいま見える。

さらに蛇足

この本は2004年の本だが、シェムリアップはかつてのネパールのカトマンズのようにバックパッカーの聖地になっており、アンコールワットの遺跡に登って朝日を眺めながらマリファナを吸うのが彼らにとって最高らしいみたいな記述があった。少なくとも半年前に自分が訪れたシェムリアップは割と安全な観光地で、朝からアンコールワットに登ってマリファナ吸ってたりしたら怒られるんじゃないかな? 欧米人のバックパッカーも多いけど、年寄りの欧米人旅行者の姿も結構目に付いた。そういうわけでちょっと情報が古いというか、現状とは認識が異なっていると思う。いまのカンボジア、少なくともシェムリアップは安全に観光が出来る良いところだと思う。

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 カンボジアでガイドを付けるときは、現地人のガイドを雇うのが暗黙の了解みたいになってるらしい。現地の人の雇用を確保するために現地人ガイドを雇うことは良いことだと思う。我々はガイドは頼まなかったけど、他の旅行者のガイドを見る限り、みんな公務員っぽい感じの制服を着てて、礼儀正しく、言葉もうまい。英語ガイドの他にフランス語、ドイツ語、中国語、そして日本語ガイドの姿を見かけた。僕が見かけたドイツ語ガイドや中国語ガイドの人はもうその国の人になりきっていて、まるでネイティブスピーカーのガイドみたいに流ちょうな言葉で案内していた。しかしそれでも恐らく留学経験はないはずだ、と一緒に旅行した親戚のお姉さんが言っていた。カンボジアで留学できるほどの金持ちなら旅行ガイドなんてやってないはずだからだ。

 面白いのだけど中国語ガイドの人は、中国人観客がそうであるように、とても大きな声で話していた。日本語ガイドやドイツ語ガイドは、幾分トーンを落とした声で案内していた。とても不思議だったけど、言語ごとの声の大きさってのがあるのかもしれないと思った。

 カンボジアには日本人観光客も多いけど、韓国人観光客も沢山いる。シェムリアップの幹線道路沿いには沢山ハングル文字の看板が出てて、正直驚いた。でも韓国人観光客は韓国人宿に泊まり、韓国料理店で食事をし、韓国人経営のお土産屋で買い物をし、全然カンボジアにお金を落としていかないと、カンボジア人のドライバーが愚痴をこぼしていた。さらにはガイドまで韓国から連れて来るので、カンボジア人にはすこぶる評判が悪い。現地ではカンボジア人ガイドと韓国人ガイドの間で暴力沙汰に発展したというニュースが報じられていたほどだ。

 貧しいカンボジアにとって外資の受け入れは必要なことなんだろうけど、一国に偏ると後々問題に発展しそうな気がしないではない。

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ココナッツジュースを用意してもらってるところ

 カンボジアの観光地では、物売りの人達がすごく寄ってくる。やれ水を買え、絵はがきはどうか、遺跡の写真集も2ドルだ、などなど。

 でも水が欲しい人は必要なときに自分で店まで買いに行くだろうし、みんなデジカメを持っているので、いまどき絵はがきや写真集を買いたがる観光客は少ないだろう。観光客が欲しいものとカンボジア人の人達が売っている物との間にギャップがあると感じた。欲しくないものはいくら熱心にセールスされても買う気にならないし、どうしても必要なものは少々高くても買ってしまうのが人間というもの。行く手を遮るようにして物を売りつけられると、かえって怪しく思えて欲しい物も欲しくなってしまう。

 片言の英語や日本語を駆使して営業する努力には涙ぐましいものがあるけど、もっと売り方を工夫したらあんなに苦労しなくても済むんじゃないかなと思った。

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 もう旅行から帰ってきて二ヶ月経つし少々くどいけど、カンボジアの話。

値切ってるとこ

 カンボジアに限らず、シンガポールも含め、東南アジアは正札のない世界だと思う。値切れる人ならとことん安く買いたたくことが出来るし、値切れない人は多分ぼったくられる。値札による価格表示の店ならぼられないかも知れないけど、ちょっと小さなお土産屋だとかだと、まず最初ふっかけた値段を提示されて、そこから交渉で値段を決定していく、みたいな流れなんだと思う(そういう店はまず値札が出てない)。だからいきなり提示された値段でうんと言っちゃうのは格好のカモだろう。

 一緒に行った人が旅慣れした人で、買い物をするときやトゥクトゥク(バイクに引っ張ってもらうタクシーみたいなもの)を捕まえるときは徹底的に値切っていた。

 お土産屋でTシャツを買うときに自分も真似してみたが、値切ったときにカンボジア人のおばちゃんがすごく悲しそうな顔をして、1ドル2ドル値切ったところで自分の懐は大して痛まないのに、自分は最低なことをしているような気がして暗澹たる気分になった。だからといって「いいひと」のままだとぼられまくるわけだから、このへんはすごく難しい。

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give me one dollar

 カンボジアでは、お金をくれと子どもにせびられることがたびたびあった。

 今日の日本人には物乞いはみっともないこと、みたいな感覚があると思う。もちろん戦後は日本人の子どももアメリカ兵に物乞いしてたんだろうけど、今日では物乞いする人ってのはほとんど見かけないですよね。ホームレスのおっちゃんたちも空き缶集めたりとか、何かしら仕事してる。そのせいか、人にお金をあげることに僕はとても抵抗があります。(ヨーロッパを旅行したとき、教会の前で突っ伏して小銭を請う人が少なからずいて、軽いショックを受けた)

 そもそも見ず知らずの大人が、子どもにただでお金をあげることは教育上よくないと思う。日本人は金持ってるからっていう理由で金をせびられるのも納得がいかない。お金は働いたり何か売ったりした対価として得られるべきもので、ただ金寄越せっていうのは道理にかなわないと思う。

 一緒に旅行したお姉さんは何度もカンボジアを旅行していて旅慣れてるんだけど、子どもたちにねだられると、「仕方ないなぁー」と言ってお金をあげることもあった。なるべくそうならないようにシンガポールでお菓子を調達してきて、子どもが金くれって言ったらお菓子をあげることでその場をしのぐようにしてたんだけど、一緒に遊んだ子どもたちにお金をあげることもあった。お金をあげると子どもたちはすごく喜ぶ。

 そんな風に喜ぶ姿を見ていると、堅いこと言わずに、お金をあげちゃうのもありなのかなー、とも思った。もちろん、群がってくる子どもたちみんなにお金をあげてたら、一人に1ドルずつでもトータルではかなりの額になってしまう。だからみんなにお金を配ることなんて不可能なんだけど、1ドルあげるだけであんなに喜ぶんだったら、先進国からやって来たちょっとしたサンタクロースみたいな役回りを演じることも、悪いことではないのかも知れないと思った。

 子ども以上に難しいと感じたのが、地雷で足を失った人にお金をあげることだ。カンボジアは国による福祉とか皆無だろうから、彼らは物乞いで生きていくしかないのだろう。でも一方で、足がなくても楽器を演奏して観光客からチップをもらっている人達もいた。伝統工芸品を作って売ってる人もいた。そういうのに対価を払うのがあり得べき寄付というか、慈善のあり方ではないかと思う。ただなくなった足を見せてギブミーワンダラーと言ってる人にお金をくれてあげるのは、こちらの心も痛むしやりきれない気分になる。いまこのおじさんに自分が1ドルあげても、カンボジア中の地雷被害者の持続的な生活の向上には繋がらないことが明らかだ。それよりも、こういうおじさんたちが何か技能を身につけて、継続的に暮らしぶりをよくしていけるような仕組みを作ることの方が大切だ。先進国の旅行者の同情に身を委ねる人生は惨めだと思うし、おじさんたちの自尊心も傷つけられるだろう。

 先進国に生まれた人間の甘っちょろい意見なのかも知れないけれど。