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荒れた砂浜

いまの会社は労働環境よいんだけど、前働いていた会社がとてもつらかった。どのくらいつらかったかというと、もう辞めてしばらく経つのに、いまだに前の会社にいたころの夢を見てうなされて夜中に目が覚めるくらいつらかった。ある意味トラウマになってしまっている。

つらかった頃のことをここに書いても意味がないことは分かっているし、ネガティブな感情をインターネット上に発露するのは個人的な信条に反するんだけど、セルフヒーリングのために前勤めていた会社のことを書いてみる。

無限サービス残業

  • 22時に帰るときも日報に「本日私用のためお先に失礼します」と書かなきゃいけない雰囲気だった。
  • 「23時に佐川が来るので申し訳ありませんがお先に失礼します」と日報に書いてる女の子とかいた。
  • 社長が「震災のおかげで仕事が減って早く帰れてうれしい、とか言ってるやつは許さない」とか言ってた。
  • みんなサービス残業してるので会社の飲み会に開始時間通りに現れる人はほとんどいなかった。
  • 週末だからと会社のメンバーで飲みに行くなんてことはなく、金曜の夜は2時くらいまで仕事するのが普通だった。

前の会社でまずつらかったのが労働時間の長さだった。もちろん残業代は出ない。完全に違法なんだけど、雇用主と労働者が対立する時代は終わったとか、不満があるなら辞めろとかいうような内容のメールを総務担当者が月に一回くらい送ってよこしていた。自分は弱いから会社に待遇を改善するよう申し出ることなんてできず、短期間働いて辞めることであの環境から脱した。

軍隊っぽさ

  • 上長にメールを送るときには宛名に「様」とつけなければならなかった。
  • 毎晩2時まで働いてたせいで心身を病んだ人が二人いたけど、二人とも「体調管理は自己責任」といって休職中に辞めさせられてた。ちなみに休職中に辞めさせるのは労働基準法違反らしい。
  • 細かく職位が分かれていて社内に軍隊のような階級制度があった。職位によって届くメールやグループウェア上で閲覧することのできるファイルが細かく分かれていた。たとえば上長の書いた日報は部下は読むことができなかった。

全体的に戦時中の日本みたいな会社だった(「欲しがりません 勝つまでは」的な感じ)。ライバルに勝つため・家族を守るために自分を犠牲にしろとか、そんな感じのことを経営陣が言ってた。

職位ごとに権限が異なっていて閲覧可能なファイルに違いがあるのはよその会社でも普通にやってると思うけど、それが露骨かつ過剰に行われている感じだった。Active Directory が Windows Server の外にもやってきて従業員をコントロールしている感じだった。

離職率の高さ

  • 入社してから二ヶ月以内に辞める人が多かった。いわゆるバックレも多かった。
  • 入社一年も経ってないのに入社時期で降順ソートしたとき真ん中くらいになってた。

自分の歓迎会開いてもらったときにすでに入社してから半年経ってた。すぐ辞める人が多いので新人の歓迎会とかはなかなか開いてもらえない。なんか先月入った人最近見かけないなー、と思ったらいつの間にか辞めてたということが日常茶飯事だった。

待遇の悪さ

  • 試用期間の二ヶ月間は各種保険に加入させてもらえなかった。
  • 内定の時に伝えられた年俸と全然違う給料だった。

全体的に、社長に気に入られないと昇級も出世も望めなかった。まぁどこの会社でも多かれ少なかれそうなのかもしれないけど、給与の等級表とかなかったし、どうすればどのくらいの給料をもらえるというような明確な指標がなかった。

労働基準監督署に届けてある就業規則はあるにはあったけど、偉い人の机の前にあって簡単に読める雰囲気じゃなかったし、そんなことしてる暇あったら仕事しろと注意される感じだった。ボーナスが支払われるのはいつか、基準額はいくらなのか、など労働契約に関する諸々のことを知らされない状態で働いていた。

技術力よりも人間力

  • 技術について熱っぽく語るとめんどくさいやつみたいな扱いを受けた。
  • 出世するにはエンジニアをやめてプロジェクトマネージャーにならないといけなかった。
  • テストコードとかなかった。テストは全部手動だった。
  • 勤務時間のうちコード書いてたのは25%くらい。あとは全部ドキュメント作成だった。

これらの開発カルチャーに加えて、会社が依拠する技術が Microsoft や Adobe などプロプライエタリなものが中心であり、UNIX/Linux 系の開発が好きな自分には大変つらかった。Capistrano とか使えば20秒くらいで終わりそうなことを手動・目視確認で行っていて、技術面のアナクロニズムに耐えられなかった。

インターネットのことを好きな人がいなかったのも辛かった。はてなとか誰も見てなかったし、 Twitter アカウントはみんな隠してた。そもそも Twitter よりも Facebook な感じだった。ソーシャルネットワークはプロモーションのツールとしてしか認知されていなかった。Twitter なんて技術的には大したことない、が社長の口癖だった。エンジニアも誰も GitHub とか使ってなかった。

不用意に転職したのが間違いだった

一番の間違いは、Web制作の会社に入ってしまったことだと思う。Twitter で見かける楽しそうに仕事してる人たちはだいたいみんなWeb系のベンチャー企業とかで働いてた。制作会社とWeb系ベンチャーでは全然雰囲気が違うと思う。制作会社にはクライアントがあり、その人たちの言うことは絶対だから、アホみたいなリクエストにも全力で答えなければならない。

Aという企業があってその会社のユーザーのためのサイトをWeb制作会社が作っているとする。すると要求の流れが以下のようになる。

A社製品のユーザー -> A社(顧客) -> 営業担当 -> プロジェクトマネージャー -> エンジニア・デザイナー

エンジニア・デザイナーはこのサイトの制作に携わるプレーヤーの中で最下層にある。顧客の要望を営業担当が聞いてきて、それをプロジェクトマネージャーが伝え聞き、エンジニアとデザイナーに指示を出す。このメカニズムのなかで軍隊的な階級構造ができる上がるのではないかと感じる。良くない仕組みだと思う。

近況

前の会社には一年近くいたけど、何か身についたかと問われると何も身についてない。自分の人生の中で最低最悪の暗黒時代だった。がんで入院していた頃の方がまだ良かったような感じさえする。

この記事のような愚痴というか後悔の塊みたいな文章をネットにのっけても何の得にもならないんだけど、職探しは本当に真剣にやった方がいいと身をもって思った。確かに結局のところ会社に入るまでその会社が自分に合っているのかどうかはわからない。しかしだからといって適当に就職活動して就職するとものすごく後悔することになる。時間がかかってもいいから就職・転職先はじっくり見極めてから決めた方がいいと思う。

実は前の会社に入って二ヶ月経たないくらいのときに、入った会社を間違ったと思って転職活動を行った。在福岡の良さそうなベンチャー企業を見つけたので面接を受けに行った。技術的には面白そうなことやってそうだったが、外に向かって社内のことを明らかにしていない会社で、中のことが全然わからなかった。なので結局内定を辞退した。面白そうだけど社員のブログやTwitterが読めないとなるとものすごく不安になる。

ペパボに入ったのは、アラタナ研究所所長の rytich さんのかつての職場で、rytich さんに声かけてもらってペパボの人と一回酒飲んだことあったし、かぶりものの社長とか創業者の家入さんとか何となく知ってて安心感があったから。とはいえどんなことやってるかよくわかんなくて不安がないわけじゃなかった。そういうよくわかんなさを吹き飛ばしてくれたのは刺身☆ブーメランさんのブログだった。

これ読んで「あ、なんか大丈夫そう」と思ったから面接受けに行った。

刺身さんにはペパボに入ってからもRailsのこととか教えてもらって世話になってるけど、あの記事読まなかったらペパボ受けようと思わなかったかもしれないと思うと何とも言いようのない感謝の念がわいてくる。ありがとうございます。もちろん rytich さんも、もうペパボ退職されたけど taketin さんもありがとうございます。

雑然とした感じの日記になったけど、自分はいま楽しく働いてます。

追記 2019/05/13

| @労働

申し遅れましたが先月末からペパボで働いてます。Ruby on Railsで開発してます。社内IRCがあってVimやEmacs使ってる人がごろごろいて居心地いいです。前の会社よりも早く帰れるようになったのでNEETの頃みたいに毎日ブログ更新したいですね。以上、よろしくお願いいたします。

| @労働

こういう会社で働けたら幸せだろうなと思います。

理想の会社

  1. Gitでソースコード管理している。
  2. 会社のGithubアカウントがある。
  3. 外部に公開されている技術ブログがある。
  4. IDEよりVimやEmacsを使うことが奨励されている。
  5. 社員が勉強会に参加することを奨励している。
  6. オープンソースコミュニティに貢献している。
  7. 音楽を聞きながら仕事できる。
  8. Rubyで開発できる。
  9. 会議が短い。
  10. アジャイル開発を実践している。
  11. テストコードがある。
  12. エンジニアは全員ノートパソコンで開発して、好きかってに席を替わってペアプログラミングとかやってる。
  13. MacとLinuxしかない。
  14. 優秀なデザイナーがいる。
  15. でかい本屋が近くにある。
  16. プログラムを書くことが好きな人たちが集まっている。
  17. SEという肩書きの人がいない。
  18. 大所帯でない。
  19. 金曜の夜はみんなはやく帰る。
  20. イスに金をかけている。
  21. 社員がfoursquareで会社のMayorの座を競い合っている。

| @労働

いろいろ悩むことがあって、ここ一ヶ月くらい、ずーっと『情熱プログラマー』を携帯していた。

趣味プログラマーであれ職業プログラマーであれ、プログラミング好きならGitHubをチェックしてるはずだし、GitとかRubyとかPythonとかTDDとかに興味あってしかるべきだと思うんだけど、世の中にはそうじゃない人も結構いる。

“Love It or Leave It” を簡単に実行できたらどれだけ楽だろう。

| @労働

1年2ヶ月お世話になった職場を10月いっぱいで退職しました。

僕は2009年の9月から、阿蘇テレワークセンターというところで働いていました。ここはISP業務やホームページ制作をやってる会社で、1年4ヶ月前、東京で就職したのにたった3日で辞めて帰ってきてしまった僕は、ここに拾ってもらってHTMLコーディングの傍らCakePHPによるシステム開発やWordPressのカスタマイズ、JavaScript開発などを担当していました。

前職場ではかなり自由にやりたいことをやらせてもらい、家で一人でインターネットで遊んであるだけでは身につかないようなことを経験できました。CMSを作るのはCakePHPやRailsを使ってもやはりそんなに簡単ではないですし、Linuxサーバーの構築などもやらせてもらって大変勉強になりました。1年2ヶ月前はTerminalなんてなるべくなら触りたくないと思っていたのに、いまはTerminalでVimやzsh使うのが大好きになりました。

しかし阿蘇テレワークセンターは自由すぎた。僕はRailsによるアジャイルWebアプリケーション開発なんかを読みながら、ウォーターフォール開発も経験したことないのに自己流で勝手にアジャイルやってました。いや、アジャイルじゃなくてただの行き当たりばったり開発ですね。これではいかんなーと思い、一旦阿蘇を離れてみることにしました。

11月からは福岡で働いてます。福岡、食べ物が安くておいしくてびっくりですね。出張などで福岡にいらっしゃる機会のある方はご一報の上、もつ鍋おごってください。

| @労働

三日で仕事を辞めた理由ですけど、

  • むかつく人間の下で人格否定されながら働きたくなかった
  • 裁量労働制の15時間労働に耐えられなかった

が原因ですね。

, , 「いい年したおっさんが何甘いこと言ってんだよ」でしかない。

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activecuteさん、一年も前の記事に「これはひどい」とか「日本的なるもの」とか「もうすぐこの国は滅ぶ」みたいなわけわかんないブックマークタグつけて、さぞ気持ちが良いでしょうね。でも、あなたは俺のことよく分からないし、俺が辞めた会社のことだって分からない。それなのにこういうブックマークコメントで安直に悪口を書くのはやめて欲しいな。俺がやばい会社に入ってしまったなと思って三日で辞めることは(家族とかには迷惑かけたけど)本質的に自由なはずだし、あなたには何ら害を及ぼしてないのに。すごく不愉快な気持ちになりました。

| @労働

就職して上京したのが去年(2009年)の7月5日で、6日から働き始めて8日の夜に辞めた。厳密には7月8日の夜10時半頃辞めたのでまだ若干早いけど、とにかく一年が経った。

あの頃に比べて今は以下のことが出来るようになった。

  • フレームワークを使えるようになった。
  • Rubyをほんの少しだけ使えるようになった。
  • JavaScriptをちょっぴり使えるようになった。
  • Google Maps APIを使ってそこそこ凝った地図を書けるようになった。
  • Linux/Unixの操作を一通り覚えた。

8月までにRailsで作ってるサイトを公開して、今後の身の振り方を考えたい。